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act7 : そのおとこ 1 荒れた道路の上、ごろごろとバイクを走らせていく。舗装されていない道路は走りにくくたびたびバイクが上下に揺れた。空からは紫外線が降り注いでいるのだろうが俺はそんなことは気にしない。家を飛び出して、いつもは決して使うことは無いヘルメットを友人から借りてきてタンデムシートにのる奴に手渡した。いつもなら自分もつけない。後ろに乗せる奴にだって、それが男であろうと女であろうと面倒だからかぶせることなんて無かったし後ろに乗る奴らもそんな真面目なやつはいなかった。でも、今回は別。交通違反すると時間が食われるし警察に捕まっていると目立つし、まさかということもある。目立った行動はできないし顔を覚えられるのはあまり好ましくない。ヘルメットをしてれば普通の通行人だし交通の法律には違反していないし、第一、顔を隠せることができる。俺がヘルメットを渡すとあいつはニヤと笑って俺を見ていた。てれ、と見惚れているとあいつは俺が手渡したヘルメットを俺に手渡し、「テメェもかぶれ、顔隠すならお互いに、な」と友人のヘルメットを俺にかぶらせ、あいつは俺のヘルメットを手に取った。何かを意識したわけではないと思うが、あいつは俺のヘルメットをかぶってタンデムシートに腰をかけた。意識しているのは俺の方だって? そうかも。って、別に俺だって何の意識もしていないけれど。紫外線を散々浴びながら青い空の下、荒廃前に破壊されたグレイの建築物をかいくぐりながら俺たちはバイクに乗ってとんだ。 バイクががくんがくん五月蝿く文句を言うので俺は途中休憩をかねて建物の物陰に隠れるようにバイクを止めてバイクの調子を見ることにした。太陽の下、じりじりと焼ける砂漠に似た砂質の地を走っているとやはり暑い。メットをぱさりと取ると額は汗だくだった。タンデムシートにのっていたあいつ――蛭魔にヘルメットをとるように勧めると蛭魔も同じようにヘルメットを取った。 ふわり、と風が吹いた。 汗はかいていないように見えた、がそんなはずはなくやはり髪の毛が少し汗で濡れていた。それでも髪はキラキラしていて青い空に映える……見惚れる自分に、喝。蛭魔からも「じろじろみるな、爬虫類菌がうつる」と一発、喝。すみません、と謝って俺はバイクの調子を見た。俺のバイクは荒廃前の機種を改造した、ようはアンティーク。骨董品に近い。改造しまくっているので歴史的価値も骨董的価値も全く無いが俺の愛車だ。だがしかし、すぐねをあげるのが玉に瑕だ。俺ががちゃがちゃと手当たり次第にメンテナンスをすると、すぐに機嫌を直して愛車のじゃじゃ馬は落ち着いた。俺は よかった、とため息をついて蛭魔を見る。「すぐ行けるけど、行くか?」と訊ねた。 荒廃前には大きな建物だったのだろう、しかし今は廃材同然の建築物で、それをチラチラと見渡しながら影で休んでいる蛭魔は俺のほうに視線を向けて「しばらく休む」と言った。追手がやってこねえか? と俺が言うと、蛭魔は首を横に。 「いや、“今だから”ここでいるべきだ」 「休んでおかなくちゃならねぇって、こと?」 「いや……、そうじゃねえ。ようするにだな、糞爬虫類。今――、!」 「どうした、蛭魔」 「葉柱、こっちこい。隠れるんだッ、バイクも引きずってこい」 蛭魔が指で俺を招いたので俺は重たいバイクを一人でひきずって蛭魔のいる物陰に隠れた。バイクは蛭魔よりさらに奥のかげに隠してぎゅうと身体を寄せ付けて隠れる。「いったい、なに!」と蛭魔に聞くと蛭魔は俺の口を手で覆って「黙れ糞カメレオン」といった。蛭魔は物陰の外をうかがっている。ごろごろ、とジープの音がした。音が大きくなってくる、ということはこちらに近づいてきている。蛭魔が隠れろ、なんて言うということは追手なのだろうか。ジープは俺たちの隠れている建物より少し離れたところでブレーキをかけたようだ。ざくざくという砂漠の砂質の地を踏みしめて歩いている。話し声はするがなにを言っているのかよく聞こえない。蛭魔はチ、と舌打ちをした。 「……追ってきやがったか」 「! あいつら追手か?」 「ああ、あの足音は追手の奴らの組織全員が履いている靴でしかならない。テメェの家に襲ってきたあの男から俺たちの情報が漏れたんだろうな。糞、まずいな」 「…………」 「なにボケッとしてやがる」 「前から思ってたんだけど、蛭魔って……、……」 「……、糞爬虫類! 静かにしろ」 追手の一人は俺たちのいる物陰にまで歩いてきた。すぐ隣で砂を踏む足音が聞こえる。蛭魔の位置からは追手が見えているのだろうか、しきりに俺とは違う方向を見て顔をしかめている。俺には何も見えない。見つかるかもしれない恐怖にかられ、手がカタカタと震えた。ただ見つからないよう祈るしかなかった。ポケットに手を入れて、蛭魔の選んでくれたナイフをぎゅっと握り締めた。いざというときは、俺が――。 「おい、そろそろ戻るぞ」 ジープに乗っていた残りの追手の声で俺たちのすぐ傍まで来ていた奴は「おお」と返事をして去っていった。ジープが再び動き出す音がしてジープは俺たちのところから離れていった。向かっていく方向は俺たちが向かおうとしている方向と全く一緒。蛭魔が言うようにあいつらが追手で、あの知事候補のエンプロイーなら、俺たちの向かっている向きには必ず施設がある。この辺境の地域に用があるといったら、この荒廃前の建物を調べる考古学者かもう少し行った所に位置する町に住んでいる人かそこに用がある人か、あの組織に用があるのどちらかだ。うん、施設に勤めてた大往生の知人は本当のことを言っていたんだな。よかった、実はボケててデタラメ言ったんじゃないのかーなんて思ってたの。いや、それは冗談だけど。 追手が行ってしまったのを確認すると蛭魔は俺の口元から手を離してフン、と言った。俺はホッと安堵のため息をつき蛭魔に言われてバイクを引きずり出した。蛭魔はヘルメットを手にとって「とっとと行くぞ」と俺にバイクに乗るように施した。追手がそこまで来ていたことに危機感を感じたのか、蛭魔は気持ち焦っているようにも見えた。俺がどきどきが止まらないし嫌な汗をかいているから蛭魔もそうだといいなと思っているからかもしれない、けど。でもやっぱり追手に捕まるのはごめんだから俺はさっさとヘルメットをかぶってバイクにまたがった。蛭魔は俺が乗った後にタンデムシートに横向きになって乗った。 「横のり危ねぇぞ、蛭魔」 「うるせーな、大丈夫に決まってんだろ。オラ、早く行け」 「振り落とされてもしらねーからな」 「テメェが振り落とさなかったらいい話だろ、馬鹿ですか、糞カメレオン」 「カッ!」 「ケケケケ」 『振り落とさなかったらいい話』 簡単に言わないでくれよな、プレッシャーかかります、蛭魔。 2 そろそろ日が暮れ始める。まだ山と空の境に明るいオレンジが見えている間は心配ないが、しゅんと暗くなった瞬間に悪質な輩が行動し始めるので危険だ。生態系が酸性雨やら多すぎる紫外線やらで狂いつつあるので夜行性の生物も凶暴になっている。漫画やゲームではおなじみの、モンスターって奴? まあ、完璧なモンスターではないけれど確実に凶暴化は進んでいる。やれやれ物騒な世の中だよ、とお年寄りになった気分でため息をつく。 俺は暗くなる前に施設に最も近い街へとバイクを走らせる。舗装されていない道路はどうハンドルを切っても走りにくい。たらたらとずっと蛭魔に文句を言われながらとばしていたら、ようやく街の明かりが見えた。小さな街だがすさんではいないようだ。人々の警戒心も薄い。俺たちのような街外の人間を警戒もせず通した。ただ単に好奇心も人に対する意識も薄いだけなのかもしれないが好都合だった。バイクを走らせて街の宿屋前にバイクを止める。ここでいいか? と振り向いてメット越しに蛭魔に訊ねると蛭魔はまじまじと宿屋を観察した。ややあって、蛭魔は「いや」と首を振った。「ここじゃないほうがいい」といった。 「なんで? 街の宿屋はここしかないみたいだけど」 「旅人が泊まるっつったら宿屋以外に考えられねえだろ? 宿屋なんて泊まってみろ、すぐに足がついちまう」 「じゃあ野宿か? それだったらこのまま泊まらないで向こう行ったほうが早くないか?」 「馬鹿かテメー。夜の輩にテメェなんぞが勝てるか。今日はこの街で泊まるに決まってんだろ」 夜の輩、というのはさっきも言った悪質な奴らや凶暴な夜行性生物のことだろう。 「じゃあ、どこ泊まるんだ? 民家に泊まらせ貰うのか?」 「ちょっとは頭働かせろ爬虫類。宿屋以外にも人が泊まれるところ、あんだろ。とりわけ街にはよ」 「……、……?」 蛭魔は「いいから俺の言うとおりバイク走らせろ。場所はだいたい想像つく」と言った。俺は蛭魔の言っていることがよくわからずバイクを再び走らせた。 「蛭、魔? 何処行くの?」 「……ケケ、」 蛭魔はにやり、とお得意の悪魔笑みを浮かべた。 「ラブホテル」 3 派手派手しい内装がいかにもな雰囲気をかもし出していてとても妙な気分になった。いや、もちろんそういう気分というわけでもないし、そんな感じになったらいいなあ、なんて思っているわけでもないんです、別に。ただ俺の住んでいた街ではあまりお目にかからない、少し古臭さ、荒廃前の雰囲気まで感じるこの派手派手しい内装に驚いたというのが正直な感想。本当です、ええ。って、なに弁解してるんだろう、俺。荒廃前からラブホテルだったのかもしれない、偶然破壊されないで残ったからこれを基本に街を作ったのかもしれない。そうならこの街はラブホテル中心の街だな、ハハハ、と俺は心の中で笑った。なんかむなしかった。 「葉柱君、緊張してんの?」 「……カッ! なに言ってんだよお前は!」 「ケケ、冗談に決まってんだろ、バーカ」 きょろきょろしていたのを察したのか蛭魔はそう俺を茶化した。俺は、蛭魔がヘルメットを大きなダブルベッドにほうり投げてベッドに腰をかけたので、別になにをするというわけでもないのに申し訳なさそうにヘルメットを蛭魔がかぶっていたヘルメットの横に置き椅子に腰をかけた。蛭魔は俺のみょうちくりんな行動にまた笑った。笑うな、と俺。「ラブホははじめてですかー?」と街頭アンケートを取る奴みたいな口調で俺に言った。ケラケラ笑う蛭魔は楽しそうに言ったが目はあまり笑っているように見えなかった。当然といえばそれまでだ、自分は追手から逃げているのだし、その追手がいつここに飛び込んでくるかもわからない。ラブホテルを選んだのだって『下等な奴らは俺ら男同士がラブホに入るとは思わないだろう』という蛭魔の考えからだった。それに明日には例の組織に行って蛭魔はなにかをするらしい。なにをするのかは聞かされていない。でも、見学に行くのでも遊園地に行くのでもない、簡単に行ってしまうとすると、戦闘に、いくのだ。俺らは、蛭魔は。 蛭魔は笑いたいだけ笑ったあと不意に立ち上がってポケットからワイヤーのような細い糸の束をとりだして窓のもとに立った。「なにしてんだ?」と俺が尋ねると蛭魔はその糸を窓に張り巡らし始めた。ピアノ線か、釣り糸か――、なににしても突然の『来客』にそなえてなのだろう。蛭魔は「もしものため」とだけ言った。 「蛭魔ってさ、前から思ってたけど……」 「なにをだ」 「こういうときの判断ってすげぇいいよな」 蛭魔は糸を張り終えてこちらをみたが、きょとんとした表情がこちらに向けられていた。そしてややあって、ぷ、と蛭魔は吹き出した。まるでお子様を見るような目だった。 「ラブホのことか?」 「違ッ! だから、殺されるとか、捕まるとか、逃げるとかそういうとき!」 蛭魔は残った糸をヘルメットと同じようにベッドに放り投げてニヤニヤと笑う。で、その表情のまま俺に近づいてきて腰をかがめ俺に顔を近づける。蛭魔の顔が物凄く近くなって、俺は変にどぎまぎした。蛭魔は確信犯のように俺を動揺させた。 「俺のこと聞きたいならそう言えば? 知りたい?」 「とか言いつつ服脱ぐな! 怪しいから!」 お遊び半分か、冗談か本気かわからない蛭魔の行動に俺は動揺してそんな俺を見て蛭魔はケタケタ笑う。そして蛭魔は上のシャツを脱いで俺に投げつけた。かさりと乾いたシャツは俺の顔に触れてから掌に落ちた。俺の目の前には、上半身何も来ていない細身の蛭魔が座っていた。 目を奪われる自分が、どうかしていると思った。 「汗かいたから脱いだんだよ、風呂はいってくる」 「汗かいたって、服全然湿ってないぞ」 「汗っかきのカメレオン君と一緒にしないでくれる? 俺は人間だから」 「カッ! 俺も人間だっつの!」 「どーだかー」 蛭魔は笑ってベッドから立ち上がりバスルームのほうへ歩いていこうとする。しかし、俺が蛭魔の胸辺りにあるものを見つけて声を出したので蛭魔は立ち止まった。「あ」と俺が蛭魔の胸元に視線を向けて声を漏らすと、蛭魔の視線も自身の胸元へと向かう。蛭魔の胸元には黒い色のタトゥーが彫られていた。なんて書いてあるのかは読めない。文字、おそらく昔少しかじった英語のアルファベッドと思われる。大文字? 小文字? そんな昔に習ったことなんて忘れた。蛭魔は最初「まずいものを見られたな」という面持ちで俺を見ていたが、俺が蛭魔の目を見ると蛭魔はニヤ、と笑ってバスルームに行くのをやめてベッドに座りなおした。そして俺の好奇心を掴み取り、「知りたい?」と再び俺に聞いた。掴み取られた俺は、危うく「知りたい」と口走ってしまうところだった。慌てて口をつむぐ。 「……別に。ただのタトゥーだろ」 「違うぜ、これはもっと深い意味がある。テメェには読めない言葉だろ?」 「……、……うん」 「言うぜ、別に。知りたいんだろ? ん?」 蛭魔は立ち上がり、先ほどと同じように俺に近づく。しかし今度は上半身何も来ていなくて、気になるタトゥーも視界に入ってくる。俺の視線は蛭魔の目と蛭魔のタトゥーをいったりきたりして落ち着かない。蛭魔は「聞きたいって言えばいいんだよ、糞爬虫類」と少し脅迫まがいに言った。 何か泣きそうだった。泣きそうな蛭魔の表情を見て、俺が。 「聞きたいって言えば俺が言うんだ、いいから聞きたいって言えよ。馬鹿かテメェ」 「……言いたいならお前もそういえよ、蛭魔。俺は最初お前に“欲しいものがあれば言えよ、よほどのもの以外は与えれる”って言った。だから、お前が“言いたいんなら”聞く。そう決めたんだよ」 「……ッ……、チ」 蛭魔は俺の肩辺りの服を握った。頭をうなだれて俺から視線をはずす。葉柱、と呟いて俺を呼んだ。「なに」と俺は蛭魔の腕を握る。はじめて触れる蛭魔の素肌からはいつぞやのような震えは感じられなかったが素肌そのものはひんやりと冷たかった。見た目ほど華奢すぎないしっかりした腕。服の上からはただ単に細い奴なのに、思ったより青年らしい腕。そういえばはじめて蛭魔が笑ったときにも青年らしいとか思ったな。青年なんだから青年らしくていいんだ。ちょっとは子どもっぽいところ見せて欲しい。知りたい、蛭魔を。 そう思うとやはり俺の思いを汲み取ったように蛭魔は俺を見て泣きそうな表情を見せる。本人は気づいていないだろう、気づいていればこんな表情を見せるはずがない。俺は蛭魔の前髪に触れる。蛭魔は嫌そうな顔はしなかった。 「葉柱……、……」 「……なに」 「……幻滅したら俺のこと、今すぐここで切り捨てていいんだぞ」 「どうして?」 「………………俺のこと、」 蛭魔はもう片方の、蛭魔自身の身体を支えていた手を椅子の肘掛から俺の肩に移動させ、脚を折り俺の膝に乗った。俺たちは、ぎこちなくいすの上で抱き合ってる姿になった。蛭魔は俺の肩から、手を俺の背中に移った。俺は蛭魔に触れる手を強くした。 「俺のこと、聞いてくれ……」 4 「StraW つまりstrawで“藁”って意味になるんだ」 「藁って、あの稲とか麦とかの茎を干した奴か?」 「……ああ」 蛭魔の胸元のタトゥーに触れる。できたばかりのタトゥーではないらしい。ずいぶん昔に彫られていたようだ。蛭魔の肌に、その黒い文字のタトゥーは否応にも映えていた。おしゃれでタトゥーを彫る奴はいるが蛭魔の場合そうではないという。無理矢理というか、義務というか強制だったらしい。そうならば誰に? 蛭魔が俺のほうを見る。俺は遠慮気味に「誰に彫られたんだ?」と訊ねた。 「……知事候補のあの男」 「やっぱ、そうだったんだな」 蛭魔は俺の手を触れ黙って頷く。俺も黙って蛭魔を抱きしめる。強く、ではなく包むように抱きしめた。覆うように、どうかその抱きしめで蛭魔が苦しまないように優しく。でも、そんなに抱きしめても、やっぱり俺は、蛭魔を抱きしめている心地はしなかった。どうしてだろう。 蛭魔は話を続けた。 「葉柱の家を襲ってきたサングラスの奴にも、俺と同じタトゥーが彫られている」 「あの男にも?」 「…………俺とあの男は、あの知事候補の『モノ』だったから」 蛭魔は口ごもった。 俺は目を丸くして蛭魔を覗いた。「モノ」ってどういうことだ、と訊ねる。そして、それとタトゥーの「straw」の意味とどういう関係があるんだ? わからずに、俺が黙っていると蛭魔は口を開いて説明する。「straw」は「stray」の“y”の字を歪めて無理矢理“w”にしたもので、「stray」を隠すために施したのだという。だから目的は「straw」を彫ることではなく「stray」を遠まわしに表現することだったらしい。「stray」の意味は? と俺が聞く前に、蛭魔は口を開いてくれた。 「strayには『家のない子』とか『家畜』って意味があるんだ」 「……ッ!」 「サングラスの奴には殺人術や護衛術を習わされて、俺は護衛術と他のことを覚えさせられた」 そうか、護衛術を習わされていたからいざという時の判断に長けていたのだな、と俺は思う。では他のこととは? 流れ出るような疑問の量に俺自身も戸惑っていたが、それらすべてに答えてくれる蛭魔にも困惑していた。しかし『他のこと』について蛭魔はなかなか口を開こうとはしなかった。言いたくないようだった、いっていいものか迷っているようだった。俺は「言いたくなかったら言わなくてもいい」と言ったのだが、蛭魔は「別に気にしてない」と強がり、眉をひそめて、俺から視線をそらした。 「……売春の仕方」 「……、……な、に?」 押し黙る蛭魔に俺は何も言えない。 知事候補は、あいつはそんなことをさせていたのか。怒りより、同情より、そんな気持ちより先に俺は蛭魔の名前を呼んでいた。蛭魔、蛭魔、と同情でもないのに悲しげな声で蛭魔を呼んでしまった。でも蛭魔はその俺の連呼を同情だとはとらなかったらしい。ただ蛭魔も「葉柱」と俺の名前を呼んだ。同情するな、とか言わなかったし罵るようなこともなかった。 「なあ、葉柱」 「……なに、他にまだなんかあるのか?」 「……、……幻滅したら俺のこと、今すぐここで切り捨てていいんだぞ」 蛭魔はもう一度同じことを俺に言った。「くどいな、お前って」と笑って俺は言うが蛭魔は笑わなかった。俺もつられてすぐに笑わなくなる。沈んだ顔つきで、しかし視線ははずさずまっすぐ俺を見た。 「俺はあのサングラスの男を以前に殺した」 「……!?」 「あの施設で飼われていた時、あいつは一緒に逃げようといってくれた」 「…………でも、どういう――」 「脱走は殺される可能性があった。でもあいつはそれを省みず、俺を逃がそうとしてくれた。救ってくれようとした。でもやっぱり最後出口で張ってた組織の奴と知事候補の男に捕まって、あいつは俺だけを逃がしてくれた。」 箇条書きのように蛭魔は言ったが、蛭魔の表情はいたって真剣で、それでいて気分が悪そうだった。吐きそうな顔をしていた、青ざめた顔が痛々しく、俺まで嫌な気分になった。まるで蛭魔の気持ちが入ってくるように。 「知事候補の、あんな男の役に立って殺人術や護衛術を使うくらいなら死んだほうがいいと叫んでいたから、俺は持っていた銃であいつを撃ったんだ。俺は俺を救ってくれたあいつを救うために殺した。たしかに、あのとき、逃げる間際に俺は殺したはずなのに……ッ」 殺したはずなら何故あのとき市場で俺たちを襲えたのか、知事候補のSPとしてテレビに映れたのか、俺の家にまで襲い掛かることができたのか、死んだ人間が生き返ることなんて、漫画やゲームの魔法でしかないはずなのに――。 蛭魔は俺を強く抱きしめた。でも俺は優しく抱きしめる。蛭魔はその男が大切だったんだ、と直感的に悟った。逃げようといってくれた男が、救ってくれた男が。そして蛭魔はそれで救われたはずなのに、再び目の前に現れたその男で蛭魔は救われ損ねたのだ。蛭魔はバイオテクノロジーの施設に行って、明らかにするつもりなんだ、どうしてあの男が蛭魔の目の前にいるのか、自分がかつて住んでいた施設に赴いて。 救われようとしているんだ、それがたとえたよりのない、儚い希望だったとしても。 「だが、あの知事候補は生き返らせたんだ、あいつを」 「……でも、そんなことできるわけねえって……」 「できるさ」 「……、でもどうやって――」 「バイオテクノロジー」 「は?」 蛭魔は俺の耳元でささやいた。 「クローン」 「……ま、さか」 「知事候補のもとに遺体が残ってたんだ、それくらい簡単だろ」 「でも、なんのためにわざわざ生き返らせたんだよッ」 「……あいつは優秀だった。他の人間に一から覚えさせるより生き返らせるほうが早い。知事候補の奴を護るためにも、政治で邪魔な奴を暗殺するためにも必要だったんだろうな」 俺は黙ったまま蛭魔の後ろ髪をいじる。 蛭魔はその男を殺すつもりなのだろうか。知事候補も殺すつもりなのだろうか。なら蛭魔はそのあとにどうするのだろう。それで救われると蛭魔が言うのなら俺にはとめるすべはない。ただ蛭魔を施設に運ぶしかのうはない。頼むから、俺に「幻滅したら俺を捨てろ」なんて言わないでくれ。たのむから、な? 救われるには自分ではなくあのサングラスの男だけが必要だとしても。 不意に蛭魔が俺に話しかけたので俺はやるせなく返事をする。蛭魔は少し明るめに喋った。 「なあ、葉柱ー」 「なんですか、蛭魔」 「――『欲しいものがあれば言えよよほどのもの以外は与えれる』っていうあの最初の言葉、まだ有効なわけ?」 「なに、なんか欲しいものあんのか?」 「有効か、無効か、聞いてんだ。どっちだよ」 「……どうしよっかなー」 「糞爬虫類、とっとと答えやがれ、えいえい」 蛭魔は俺の髪を引っ張って笑う。俺は痛、痛、と自分の髪を押さえる。やーめーろー、と言うと蛭魔は笑って俺の顔を見た。まじまじ、と見つめて「気味悪い顔」と悪戯に笑った。「うるせーよ」と俺もやっぱりやるせなく笑った。 「じゃあ、有効」 「おう、そうこなくっちゃな」 「で、何が欲しいんだ?」 「二つほど、欲しいモンあんだけど、葉柱君に扱えるかな?」 「カッ、馬鹿にすんな」 蛭魔は今度はやんわりと悲しげに笑って「馬鹿だな」と言った。俺に言ったようにも取れたし、蛭魔が蛭魔自身に言ったようにも取れた。どちらにとっていいか、俺には判断しかねた。 「俺はあいつを殺した、だから――」 「――――ッ」 「俺、元のムサシが、欲しい……ッ」 そうか、あの男はムサシって言うんだな。聞いてもないのに言ってくれたあなたに、俺は、どうしようもなく、思う。言葉のボキャブラリーが乏しいからなんていっていいのかわからない、この気持ちに。どうしても、どうしても、俺はあなたに思ってしまう。この思いを。 「じゃあ、あと一つは、何が欲しいんだ」 耳元にささやかれた言葉に俺は「承ります」と頭を下げた。両方とも承諾します。 あなたのために俺はすべてをささげて、あなたをあの施設に送りますそして行ってあなたが満足するまで護ります。たとえ自分ではあなたを救えないとしても。 救えないけれど。 ムサシと呼ばれた、その男ではないと。 俺は蛭魔がささやいた『欲しいもの』を与えるべく蛭魔の頬を両手でふれて蛭魔が目を閉じるのを待つ。そして閉じたと同時に、俺も瞳を閉じて顔を近づけた。 「キスが欲しい、葉柱」 next --------------------------------------------------- そのおとこ、むさし。 |