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act5 : 新聞 1 コンビニの、涼しすぎる冷房に少し肌寒さを感じながら俺はいつもの飲料水とつまむ程度の食料と新聞を手にとってレジに並んだ。コンビニに入るときすれ違った女とその子ども以外、店に客はいない。ラジオからは雑音交じりの最近のヒット曲が流れていた。壁紙がところどころに貼ってあるコンビニは、壁のほとんどがコンクリートの打ちっぱなしで配管の様子や建物を支えている金属の太い針金がよくわかる。グレイの、ところどころに黒を配色した薄暗いコンビニ。街のほとんどがそんな店だ。壁紙が綺麗に貼り付けてあって、煌々と眩しいほどの白熱灯が灯っている店なんて稀だ。沈んだ店の雰囲気に慣れてしまったのは俺だけではないと思う。 店員の「ありがとうございました」の言葉を背中の後ろから聞き取り俺は店を出た。 朝、まだ日は昇っていない。暗いあたりにまだ人は歩いていない。先ほどすれ違った母子は朝ごはんの食べ物を買いに来たのだろう。昼は車のよく通る道も、今は自転車を全速力で走らせている若者や朝早の仕事に行こうとしているように見えるおじさんぐらいしか歩いていない。俺はというと、朝飯の食材はあるのだが、飲み物がなく軽くつまめるものが欲しいなと思ったのでコンビニへと足を運んだのだ。そしてそのついでに、一緒に住んでいる彼から、頼まれ物をしたので俺はそれも一緒にコンビニで買った。新聞だ。 俺は新聞をとっていない。若者にありがちな、ニュースや事件に興味がないし活字を読むのが苦痛だっりする、あれ。それにとったとしても読むのはテレビ欄ぐらいだろうから、お金がもったいないと言う理由でとっていない。だが、今朝は蛭魔が「新聞買ってこい」と言ったので買うことにした。あいつが新聞が欲しいなんていうなんて思わなかったが、なにか知りたいことでもあったのだろうか。 「……?」 ふと。俺は振り返った。誰かがこちらを見ていた気がしたので振り返ったのだが誰もいない。先ほどの自転車の若者ももういない。通勤中のおじさんも遠いところに行っているがこちらを向いていた雰囲気はない。背中をこちらに向け、黙々と歩いている。関係ないだろう。……誰か真後ろにいた気がしたのだが気のせいだろうか。俺はしばらく辺りをきょろきょろと見回したがやはり誰もいない。近頃は本当に物騒だから何があってもおかしくはない。自分の親父は、仮にも結構偉いのだし、狙われる可能性だって低くはないのだ。やれやれ、とため息をつき、俺は誰もいないことを確認して再び歩き始める。歩くと、コンビニの紙袋ががさがさといった。風が吹き出した。この季節にしてはからりと乾いた風だが、 その風は妙に強く吹いてきて向かい風だ。雨が降ったら嫌だなあと思いつつ、俺は家へと急いだ。あまり遅く、とろとろして帰っていると、きっとあの蛭魔は苛々してご立腹だろうから。 (それにしても新聞なんて見てどうすんだろ) 俺は首を傾げる。紙袋から見える文字はやたらと小さくてタラタラと退屈な文章をかたどっていた。 (どうせ内容なんてつまらないモンばっかりだと思うけどな) 玄関前の警備員に軽く会釈をすると、無理をしたようにぎこちなく笑われてこちらも苦笑いしてかえした。エレベーターの、これもいつもと変わらない子どもじみた軽い チン、という音と共に俺はエレベーターの個室を飛び出す。相変わらず俺の部屋のあるフロアは誰もいない。三つ横に並ぶエレベーターはどこからものぼってくる気配はない。出入りの少ない、閉鎖的な、それでも安全なマンションの俺の部屋を目指して俺は歩く。ポケットから鍵を取り出しつつドアの前に立ち慣れた手つきですべてのセキュリティーをといた。ドアを開ける。「ただいま」と告げて部屋に入ると、出て行ったときとかわらず部屋は散らかったままで、かわらずあいつは部屋にいた。そして「新聞買ってきたか?」とこちらを向いた、蛭魔。 俺は新聞を蛭魔のもとに放り投げて残った飲料水と食料を冷蔵庫にしまいこんだ。ガサガサとさわがしく、そんなに広くはない机の上に堂々と新聞を開ける蛭魔を俺は横目で見つつ冷蔵庫のドアを閉める。無言で新聞を読みふけっている蛭魔を見て、俺は蛭魔に近づいた。 「何見てんだ?」 覗き込むと、やはり一面に載っていたのは政治の、それも思った通り、選挙戦の話題がでかでかと大きな写真つきで載っていた。昨日テレビで放送されていた男が、記者に囲まれ写真をとられしていたときの写真だ。蛭魔は無愛想に「新聞」とよくある皮肉で返してきた。そんなこと、わかってます。蛭魔は他の記事には目もくれず、ジッと選挙の記事を睨みつけていた。その男が気になるのか? まさか惚れた? 冗談なのに、そういったら殴られてしまった。言った俺も俺だけれど。 何見てんだ、と再度訊ねる。すると蛭魔は、「そんなに知りたかったら自分で読みやがれ」と新聞紙を俺の顔に突きつけてきた。ぶは、と声を出すと、蛭魔は顔を手で押さえてソファから立ち上がった。新聞紙を顔からはがして、蛭魔を覗くと蛭魔は少し顔色が悪かった。「どうしたんだ?」と俺が心配になって尋ねると蛭魔はため息をついて俺を見た。怒っているような口元だったが、口元はへの字に曲がって怒っているようなのに、目の色はうらむような、訴えるような、卑下するような目だった。しかしその目は俺に向けられたものではなく、新聞の、それも写真に向けられたようだった。俺はその蛭魔の表情を見て、心底に困った。買ってきた俺が悪いって? いや、買ってきてくれと頼んだのは蛭魔だし……俺があたふたしていると、蛭魔は俺から目を離し、吐き捨てるように「夢だから寝る」と意味のわからないことを呟き寝室へ姿を消していった。 夢だから寝る? 俺は新聞をもう一度机に開いて自信に満ち溢れたような立候補者、知事候補の男を見た。大々的な新聞の見出し、候補者を囲む記者からも伺えるほぼ当選したも同然の男。優秀なSP。腹の立つ喋り口調に何かむかつく目つき。大人の事情はわからないし、俺はまだ投票権をもってはいないけれど、こんな男が当選確実なんていわれているようじゃあ、世も末。――もちろん、荒廃前から充分世の末だったし、むしろ荒廃してからだから世は始まったばかりなのだが。俺は、どうしてもこの男は好きじゃなかった。 「蛭魔は寝ちまったし、俺ももう一眠りするか……、?」 がたり、と音がした気がして言葉をとめる。 誰かいるのか? 隣の寝室には蛭魔がいる、あの表情だときっと疲れていたんだろ、多分もうぐっすりしてるはずだ。そのほかに誰かいるなんてばかげたことを考えているなんて、きっと自分も疲れているんだ、そう俺は理由づけた。外にいたとしてもこの家はマンションだ、人が通るのだって当然だし、ドアや壁にぶつかることだってあるだろう。慣れない早起きなんてするもんじゃあないな、と俺は頭をかいた。ソファに転がり込む、そしてそのまま、目を閉じ、俺は眠りに落ちた。 2 がたり。 音がして、俺は身体を起こして辺りを見回した。時計を見ると2時過ぎ。おいおい、どれだけ寝ているんだ、自分は、と苦笑した。リビングは今朝の、早くからの散らかり様と変わらず汚かった。かわっていない証拠――つまり、誰もこの家に入ってきていないことを確認できたので俺はソファから立ち上がり、そろそろ蛭魔を起こしたほうがいいと思って寝室へと向かう。お互い飯を食っていない、朝も昼も。自分が空腹であることに気づき腹部を押さえながら寝室へ足を運んだ。カーテンがきっちり閉められていて、外は明るいはずなのに部屋だけがぼんやりと暗く、部屋の大部分を占めるベッドには蛭魔が毛布をしっかりと自身にくるみ転がっていた。蛭魔、と俺は声をかける。しかし、蛭魔は頑なに自身を隠しこむように毛布をまとい起きようとはしない。俺は蛭魔の肩をゆすって蛭魔の名前を呼ぶ。するとようやく、蛭魔はごそごそと布団から手を離し、身体を毛布から出した。今日は今このときはじめて目を覚ましたとでも言うように瞳をこすり「もう朝か」と寝ぼけたことを言った。「もうとっくに昼だよ」と俺が言うと、 蛭魔は「うー」とガキみたいにだらしなく唸ってベッドから降り、ペタペタとフローリングの上を歩いた。俺はその後をついていった。 「ほら、飯食うんだろ?」 「椎茸入れたら殺す」 「はいはい、ちゃんと中身見て買ってるから入ってねえって」 蛭魔はソファにすわり、俺は冷蔵庫に手をかける。「新聞邪魔だからどけとけよ」と冷蔵庫の前から叫ぶと「面倒」と返事が返ってきて俺はまたため息をつく。 「蛭魔ー、ほら、寝ぼけてねぇで、新聞どけろ」 「あー、るさい、糞カメレオン。新聞の上に置けばいいだ――」 蛭魔の言葉がそこで詰まったので俺はキョトンとして蛭魔を見つめる。俺は蛭魔をじっと見詰めていて、その蛭魔は新聞をジッと見つめていた。ねめつけていた。どうしたんだ、と俺はしゃがみこんで蛭魔の表情を覗き込んだら、蛭魔は青ざめた顔色をして新聞の写真を見つめている。「蛭魔?」と声をかけた。しかし蛭魔は、その写真がまるで心霊写真だとでもいうかのように、恐れているような、信じられないような瞳で見入っている。涼しすぎるコンビニの冷房に身が震えるのに似たこごえ方をしていた。カタカタと小さく震えている。蛭魔は「夢じゃなかった」と呟いた。 「嘘だ……」 「蛭魔?」 「嘘だ……、こんなことがありえるわけが……ッ」 「蛭魔、どうした落ち着けっつの!」 「嘘だ、嘘だ、嘘だ、こんなもんデタラメに決まってるッ! ……クソッ!」 「蛭魔ッ!」 蛭魔は机に広げてあった新聞紙をぐしゃりと握りつぶし息を荒げた。新聞を破り捨てるかのように新聞を机から引き摺り下ろす。そしてカタカタと小刻みに肩を震わし、掌で口元を覆った。俺はそんな蛭魔の姿を見て、ただ何も言えず瞳を見開いていた。 「こいつが、いるはずが、ない、のに」 「蛭魔!? 落ち着け、大丈夫か、おい蛭魔!」 「葉柱……ッ!」 蛭魔は俺の腕をとった。服を握り締める手からも震えを感じる。蛭魔は言っていいものか悪いのか刹那戸惑ったように瞳を動かしたが、俺の腕を少し強く握ったあと、思いつめた目のまま、口を開いた。 「あいつがいるはずないんだ、あいつは、俺の――」 「蛭魔……」 俺が蛭魔の肩を抱こうとした瞬間、その瞬間だった。 ――ごうぅんッ! 轟音と共に玄関の扉が破られ部屋がわずかに上下に震動した。俺は蛭魔の肩に掛けようとしていた手を戻し蛭魔は俺から手を離した。離しあった後、お互いの視線は音のもとへと向かう。俺は「誰だ」と叫んだ。ポケットにいつもしまってある、市場で買ったナイフを取り出し握り締める。ドアのセキュリティーには自分のものと蛭魔の分しかスキャンさせていない。それに、ドアが『破られた』のだから『開けられた』のではない。侵入されたのだ。警備員は何をしている? こんなことをする奴が顔パスで通れるなんておかしい――などと、色々頭の中を色々な考えがかけめぐった。ナイフを握る手に汗がたまる。しかし蛭魔は、驚いてはいたけれども、平然と、決意したかのように、黙って扉のほうを見ていた。 扉のほうから、男が歩いてきた。あのときの、市場で襲ってきた奴だ。何かを喋ってる、しかし男の声でも女の声でもない。変声機で声をかけているのか? 男は土足で、家に上がりこんでくる。サングラスをしていた、特に目立った武器は持っていない、しかし――こいつには絶対に敵わないという、あの例の立候補者のSPに感じたものと同じ感覚に襲われた。俺は思わず後ずさりした。 『……、……そこに、居るのか?』 「お前、勝手に人ん家に上がりこむな……ッ」 『そこに居るんだな』 「……ッ来るんじゃねえよ」 「……やめろ、葉柱ッ!」 俺の後ろから、蛭魔が飛び出した。 強引に上がりこんできたその男の視線は一瞬で俺から蛭魔へと向けられる。蛭魔は小さく震えていたが握りこぶしに込められていた力は強く、にぎにぎと、爪が長ければ血が流れ出しそうだった。男は、サングラスのために眼からは何の表情も伺えないが、口からも、笑いもしないし驚きもしないし何の感情も伺えなかった。その冷たさに、俺は不意に身震いした。蛭魔は言葉を詰まらせながら男に話しかける。俺が止めようとしたが、蛭魔は俺を突き飛ばして傍に寄せないようにした。俺はこけそうになるのをようやくのところで止め、蛭魔の名を叫ぶ。蛭魔はこちらを見なかった。 『……蛭魔、だな』 「そうだ、テメェは俺に用があるんだろ? この男に手ェ出すな」 「蛭魔ッ! そんな奴にかまうな!」 「……葉柱」 蛭魔は振り返らない。しかし今の言葉は、今の名前は、俺に向けられたものだ。俺は返事をする。蛭魔の声は、強がっているようだったがやはり、震えていた。 「葉柱、逃げろ」 「……なっ!」 「お前に、こいつは絶対に敵わない」 「んな、やってみなきゃわかんねェだろ!」 「わかる、俺が言ってんだから、そうなんだよ」 『……、……蛭魔を引き渡す気がないなら、貴様を殺してもいい』 蛭魔はもう一度叫んだ。俺はそれを拒んだ。男は、視線を蛭魔から俺に向けて手を伸ばしてきた。俺はナイフを構えたが、蛭魔が俺を怒鳴りつけ、俺はそれを躊躇ってしまった。 「いいから、逃げろ葉柱……ッ! こいつの狙いは俺一人なんだ、俺の持つ――、」 『余計なことは喋るな、蛭魔。俺とくればこの男は助かる。それでいいんだろう』 「――そうだ、俺はテメェについていく。それで葉柱が助かるんだからな……」 何なんだ、あいつは。誰なんだあいつは。俺はあの男に飛びつくことも逃げることもできなくて、みっともなく、格好悪く、ただ二人のやり取りを見ていることしかできなかった。 「……葉柱、色々悪かったな」 『……、……いくぞ、蛭魔』 「……。ああ」 蛭魔はくるりと頭だけ回して俺のほうを見た。表情が歪んでいる、眉間にしわを寄せ、瞳を細め、つつけば涙があふれてきそうな顔つきをして、俺を見る。そして刹那、口元が、薄く、何かの文字をかたどった。たった四文字、簡潔に、俺の胸をついた。 は ば し ら 俺は、ナイフを構え、相手の身体をつかみ、ナイフを首もとに突きつけた。 「……は、葉柱!?」 「蛭魔を殺されたくなかったら、出て行け」 『……ッ……、……』 突きつけた相手は、蛭魔。 男には反応が見えた。しかし、ここで引いてくれなければもう俺は、蛭魔を助ける方法を持ち合わせていない。この男にとって、あるいはこの男を雇っている奴にとって、蛭魔自身が必要でないとしたらこの無謀な作戦は失敗に終わる。頼むから、引いてくれ。頼むから出て行ってくれ。救いたいんだ、蛭魔を。 『…………』 「出ていけ!!」 「何をしているんですか!」 ドアのほうから警備員がやってきた。轟音を聞きつけてか監視カメラを見てかわからないが、警備員が2,3人走ってきた。男はその警備員を見ると警備員を払いのけて姿を消していった。警備員二人でも敵わない男が、相手だったなんて……。 俺は警備員にだいたいの事情を説明すると、警備員が修理屋の人を呼んでくれることになった。警備員はもとの持ち場に帰っていった。俺はホッとして、手にしていたナイフをカランと床に落とす。足がふるえ、ぐらぐらと床にしゃがみこんだ。蛭魔は立ったまま、俺に背を向けて話しかけてきた、声は、まだ震えているようにも聞こえた。 「なんで、逃げなかったんだ、テメェ」 「……蛭魔を、助けたかった」 「俺は逃げろっつっただろ、糞爬虫類」 「助けたかったんだよ、でも……俺は……」 「……」 「あんな方法しか思いつかなかった……ッ 助けたかったのに……!」 唐突に、泣きたくなった。 そう認識すると、涙が出てきた。 蛭魔も俺と同じようにしゃがみこむ。しかし俺からまだ背を向けて、決して、頑なに、俺のほうを見ようとはしなかった。蛭魔の背中が俺の肩に当たる。蛭魔は俺の肩にもたれこみ、俺はようやく蛭魔の腕に触れることができた。俺も蛭魔も、どちらも震えていた。 「俺はテメェに迷惑かけた、もともと俺がここでかくまってもらえる理由が薄すぎたんだ」 「……蛭魔……」 「ここにいる理由なんて、ないのに……、俺は……」 蛭魔がここにいたら俺は面倒に巻き込まれるのに、俺はこう思わずにいられなかった。もしかしたら蛭魔も? ここにいる理由なんてないと思いつつも、そう同じことを思ってくれていたのかな。 一緒にいたいなんて。 next --------------------------------------------------- 一緒に、なんて |