act3 : 逃亡



1

   好きな食べ物は、肉。嫌いな食べ物は野菜。食べれないというわけではないが好き好んで食べたいとは思わない。きのこは嫌い。薬、ビタミン剤みたいな栄養剤は死んでも口にしたくないという。 服はラフなものが好きで、好きな色は黒、赤。鈍い色は好きだけれど、黒と赤以外の原色はあまり好きじゃない。趣味はコンピュータで、一昔前の、荒廃前のパーソナルコンピュータも扱えるらしい。 凄いな、と俺が言うと、普通ー、という言葉が返ってきた。俺の凄いところって言ったら、バイクの部品の名前を暗唱できるぐらいだ。変な趣味、と笑われた。あとは、動物が好きだとか、 お小言言われるのが大嫌いだとか、それぐらい、俺が知ることのできた、俺があいつを見ている限りでわかるあいつのこと。それと、あとは……。

「そういえば、蛭魔って英語喋れるんだよな」
「ん?」

蛭魔はソファに座ってくつろいでいたところを、俺にそういわれて振り向いた。俺はコンビニで買ってきた食べ物を冷蔵庫にしまいながら蛭魔のほうを見る。蛭魔は「喋れるぞ」と言うとソファに座りなおして 背もたれに腕を組んであごをのせ俺を見てにやりと笑った。ばたん、と俺は冷蔵庫の扉を閉める。「それがどうしたんだ」と蛭魔は首を傾げて俺に言った。「いや」と俺は口を濁したが、 別に聞いていけないことはないだろうな、と思い うん、と頷く。
 俺は再度冷蔵庫を開けて飲料水をとりだし蛭魔の横のソファに腰をかける。蛭魔が手を出してきたので俺は飲料水を空ける前に蛭魔に渡した。

「学校で勉強したのか?」

蛭魔はきょとん、としたあとすぐに首を振って いや、と肩をすかした。

「学校は行ってねえよ」
「あ、悪ぃ……」
「別に。そのかわりこの飲み物全部俺貰うからな」
「あ、ずるい。店に一本しかなかったんだぜ?」
「ケケ、しるか」

ぷしう、と炭酸飲料水が音を立てる。その音と共に蛭魔が口を開く。「英語はな」と語ってくれるようだった。俺は蛭魔を見た。最近蛭魔はよく笑う。最初会ったとき、俺の家でかくまうことになったときと比べると 本当によく笑う。それが信頼の証なのか気を許したのか、あるいはもともとよく笑う奴でそれがだんだんと戻ってきているのか……それともそういう風に見せかけて演技をしているだけなのか。 しかしどのように俺が利用されているとしてもいなくても、俺は蛭魔といるとバイク仲間といるときとは違う気分になる。蛭魔の性格は悪い、でもバイク仲間にも同じくらい性格の悪い奴がいて――、でも 蛭魔は俺に遠慮をしない。バイク仲間は俺が議員の息子だからかそれともバイク仲間のボスだと思っているからか仲の良い友人だって少し遠慮気味に話をする。それがたまらなく嫌だったけれど、 俺と対等にいろよと要求してそれで相手に無理にされるのも腹が立つのでいえなかった。でも、蛭魔は従来の性格からか、居候の身でも俺に遠慮することがない。それが、たまらなく心地よかった。 腹が立つこともあるけれど、それがまるで友人同士のようで、俺はそんな蛭魔の雰囲気が気に入っていた。それに加えて、蛭魔からはオーラを感じた。別に俺は霊感が強いとかではない、ただ、蛭魔には後ろめたさに似た 罪悪感を背負ったような雰囲気があった。その雰囲気が何処から来るのかは、それはまだ俺の知れる範囲のことではなかった。
 蛭魔は飲料水を何口か飲むと、結局俺にくれた。そういうところも、俺が蛭魔にひかれる要因の一つかもしれない。

「言語は一度聞いたらだいたいは覚えるんだ。英語は何度か聞いたことがあるからほとんど覚えた。ケケ、俺の特技っていえるかもな。」
「英語のほかには、何か喋れるのか?」
「英語、中国語、アラビア、スワヒリ、ドイツ、それに……」
「それに?」

荒廃前は多くの人が喋っていた言語なのだろう、でも俺には聞いたことのない言語名ばかりだった。かろうじて聞いたことがあるのが中国語、だ。言語史のなかで、わずかにかじった程度だけれど。 たしか荒廃前、五億人を超える人が使っていたとかなんとか……、今は滅んでしまった、需要のない言葉。でも、どうして蛭魔はそんなに多くの言葉を喋れるのだろう。そのうえ、今俺たちが何も疑問に思わないで使っている何語かわからない共通語も喋れるなんて。

「それに、あとは日本語」
「日本語?」
「そう、日本語」

蛭魔はニイと笑った。
 俺は喋ってみてくれよ、と蛭魔に頼むが蛭魔は 無理、とそれを断った。「英語とかスワヒリならしゃべってやってもいいけど」と言って俺が持っていた飲料水の入れ物を取って、もう一度それを口にした。

「それは、無理な要望だな」



2

「葉柱ー、今日すげえいい天気だな」

カーテンがシャッと開けられて俺は目を細める。俺はリビングのソファで横になって眠っていたところを蛭魔に起こされ頭をかきながら起き上がった。ここのところ嫌な天気が続いていたので俺たちは外に出れていなかった。ここのところずっと雨で家を出るわけには行かなかったからだ。 雨が降るときは外に出てはいけない――お袋からの教えだ、それはこの世界の常識でもある。酸の強い雨が降る。傘も利かない。建物が解けないのが不思議だが建物は特殊な金属でできているので解けはしない。しかし身体や傘のような布は別だ。 ジュ、と解けてやけどみたいになる。あれは治らない。蛭魔は嬉しそうに窓の外を眺めていた。太陽が蛭魔の髪の毛をきらきらと飾りつけ、蛭魔の黒い服に光が差し込み綺麗にすけた。俺は、久しぶりの晴れの日なので買い物に行かなくてはならないな、とソファの背もたれにかけていた服を手に取り着替えだす。 そして偶然リモコンが手に触ったのでそれにまかせてテレビをつけた。ザザ、と画像がゆれたがすぐになおって映像を映し出した。朝のニュース番組のようだった。雨もやんでもうしばらくは外を出歩いても大丈夫でしょう、と女性のアナウンサーが喋っていた。ふーん、とぼんやりテレビを見ふけっていたら 臨時ニュースが飛び込んできた。その女性アナウンサーは慌てて横から原稿を受け取り、一度原稿を確認して読み始める。どうせまた誰かが行方不明になったとかそんな話だろう、と思っていると、女性アナウンサーから伝えられた情報はまったく別の話だった。俺には全く興味のない話だったが、 親父や世間にとったら大変な話なのだろう。政治の話だった。しかも、今度行われる知事選挙のことだった。

『――氏が立候補を取り消すということを今朝、先ほど発表しました。詳しくはわかっておりませんが、立候補者五人のうちこれで三人が辞退を表明、これではほぼ知事選の勝敗は見えたも同然といえる……』

ピ、と俺はテレビを消した。どうでもよかった。これでは親父の跡を継ぐなんてことはできない気がしたが本当にどうでもよかった。知事が誰になろうと知ったことではない。それどころか知事になる奴が気の毒にも思える。その知事が治める地域の治安が悪ければ知事が悪いように言われるし、 いろんな酷評が知事のもとに集められる。議員はともかく、知事になる奴の気が知れなかった。
 俺は着替え終わると、買い物に行こうと机の上から財布をとった。飯何がいい? と蛭魔に訊ねる。蛭魔は、俺の声が聞こえないかのようにテレビのほうをじっと見ていた。蛭魔? と俺は尋ねる。テレビはもう映像は映っていない。

「蛭魔? どうした?」
「……、あ、いや、なんでもねえよ」
「? そうか。じゃあ、飯何がいい?」
「出かけるのか」
「だってもう冷蔵庫空っぽだし。外もいい天気だしな」
「葉柱……」
「蛭魔?」
「俺も連れて行け」

突然の申し出に俺は驚いた。かくまっている身だ、俺は。そして蛭魔はかくまわれている、外に出ては危ないから。蛭魔を狙う奴は少なくともマンション内にはいない。それにマンション内にいたほうが優秀な警備員がいるから 安全だろうと思って俺は一度も外に連れて行こうとはしなかったし、蛭魔も自分の身をよくわかって外に出ようとはしなかった。 監禁しているわけではない、身を隠しているのだから外に出たら危ないのだ。でも、蛭魔が外に出たいというのは初めてだったので、俺は拒否するわけにはいかなかった。

「危なくねえ?」
「外に出たいんだ、いや、別にここが居心地悪いとは言わねえけどな」
「でも……」
「危なかったらテメェだけ逃げればいい、だろ?」
「カッ! んなことするわけねえだろ!」
「……それに、外の空が見てえんだ」

「蛭魔?」
「……なんでもねえよ」

いい天気だしな、と蛭魔は話をはぐらかした。



3

 久しぶりの晴れの天気に町は人であふれていた。珍しく市場がたっていた。田舎のほうからと南の地域から直送とおもわれる野菜や食材が並べられていた。いい天気で市がたって人が多く賑やかだった。俺はしばらく家を出なくても大丈夫だろうというぐらいの食材を買った。それに加えて蛭魔にせがまれ いくつかの果物と、いくつかのナイフを買った。果物ナイフを買わされた。「何でそんなもんいるんだよ」というと、「肉切る包丁と果物を切る包丁を一緒に使うのが嫌だ」といわれた。んなこと気にしてたのかよ、と言うと、「テメェが気にしなさすぎなんだよ糞カメレオン」と言われる。 あと一本のナイフは、バタフライナイフだった。蛭魔が持つのかと思ったが蛭魔は俺が買ってやった後蛭魔に渡すと、そのままじろじろナイフを眺め俺に渡した。強そうだったからお前に選んだ、と笑っていた。プレゼント、ではなくただ蛭魔が選んで俺が買っただけなのだが蛭魔のセンスは良かった。 シンプルな型のナイフだったが丈夫そうだった。(金を払ったのは俺だが)俺は受け取ると「ありがとう」と少し困った声で言った。危なくなったらそれで相手を切って逃げろよ、と蛭魔は言った。

「カッ、お前いっつも卑屈だな」
「うるせー、糞カメレオン。面倒なこと嫌いなんだろ? 人の親切卑屈だとか言うな馬鹿カメレオン」
「カメレオンカメレオン言い過ぎだっつの」
「ケケケ」

蛭魔は馬鹿にするように笑うと、道の真ん中で立ち止まる。空を見上げていた。そういえば空が見たいだとか言って外に出たがっていたな。しかし見上げていたのが蛭魔だけではなかったので俺も立ち止まって辺りを見渡した。市に来ていた人たちがほとんど空を見上げていた。俺はそれにつられるように空を見上げると、 それとほぼ同時に砂嵐のような音と一緒に音声が流れ出した。見上げると、高いビルのスクリーンにニュースが流れ出した。先ほどのアナウンサーと、あと一人男性アナウンサーが並んでスクリーンに映っている。臨時ニュースだ。辺りの人たちは「最近臨時のニュースが多いね」とひそひそ会話をしていた。 俺もそう思う、最近妙な事件や犯罪が多発している。知事選が近いせいもあるのか、妙な変質者も続出している。気味が悪い。その一言に限る。
 アナウンサーは原稿に幾度も視線を落としながら原稿を読み始める。先ほどの辞退した候補者のことだった。

『――氏は、辞任した理由をこう語っています。VTRをどうぞ。』

ぶいん、と画像がゆれて、もと立候補者の姿が現れた。立候補者唯一の女性のようだった。

『命を、狙われているんです。私が知事をやめないと家族の命も、とメールが来て……私はともかく、家族の命にはかえられないので、辞退を、させていただきたいと思います。応援してくださった支持者の皆様には申し訳ないのですが――』

物騒な世の中だよ、と俺は顔を落とすが蛭魔はまだ顔を上げていた。俺は蛭魔の名前を呼び、「そろそろ帰るか」と訊ねた。蛭魔は顔をこちらに向けたが、物憂い面持ちでこちらを見つめた。俺はじっと見つめた――すると。

「――蛭魔、あぶねえ!」

蛭魔の後ろから、見知らぬ、黒いサングラスを各自かけた男たちが走ってきたので俺は蛭魔にそう叫んだ。男たちは蛭魔の背後から、蛭魔の口元を押さえて蛭魔を連れ去ろうとした。蛭魔は思い切り抵抗したように見えた――が、男三人に細身の蛭魔の力は敵わなかった。周りの人間は叫び声を上げて警察を呼んでいた。
 市では泥棒が現れやすいので警察は大抵張り込んでいる。しかし犯罪の起こったすぐそばにいるとは限らないので到着には時間がかかったりもする。なにしろ開かれている市の範囲が広すぎた。俺は先ほど買ったナイフを取り出し男三人のうち一人に切りかかろうとする。 しかし男だって簡単にやられてくれるわけはなかった。俺はもう片方の男に取り押さえられ、蛭魔を羽交い絞めにしている男はそのまま蛭魔を連れて逃げようとした。蛭魔は口を抑えられていた男の手をはぎ、俺に向かって叫んでいた。

「……葉柱ッ」

「蛭魔!」

蛭魔を羽交い絞めにしていた、一番体格のいい男はそのまま去ろうとした。俺は何とかして取り押さえている男を振り払おうとしたが逃げ出そうとする人間の足の速さに敵うはずはなかった。そのときだった。

「大丈夫ですか!」

見たことのある制服を着た男の人が走ってきた。警察だった。
 男たちは蛭魔と俺をはなすと、そのまま裏路地に駆け入って姿を消した。警察は俺たちの安否を確認したあとすぐに男たちの後を追って裏路地へ入っていった。蛭魔の呼吸が荒いのに気づくと、俺は蛭魔の肩を抱いた。大丈夫か、と尋ねると、蛭魔は、一番体格のよかった――蛭魔を羽交い絞めにしていた男が落としていったサングラスを手に取り、 「大丈夫だ」と薄弱と言った。
 俺は、蛭魔の素性が警察にばれるようなことがあってはならないと思ってすぐに蛭魔を立ち上がらせ、荷物を抱えその場から逃げていった。後から人が追ってくる気配はなかった、が、気持ちは落ち着かなかった。こんな、白昼堂々と襲ってくるとは思わなかった、それも、蛭魔が出歩いたその日に出てくるなんて。そして確実に、 蛭魔は加害者ではなく被害者だとわかった。それも、ただ殺せばいいだなんていうことではなく、蛭魔をどこかへ連れて行かなくてはならなかったんだ、あの男たちは。冴えない俺の頭でも、それくらいは理解できた。
 でも、どうしてあのまま蛭魔を連れて行かなかったのだろう、逃げるには足手まといだったのか? 蛭魔が? 警察に顔が割れるとまずいのだろうか。あの男たちの、主人はいったい誰なんだ。さすがに、そこまで考えることはできなかった。そうだ、それにただ単に変な奴なのかもしれない。もしかしたら連続して続いている一連の誘拐事件かもしれない。 蛭魔が追われていることとは全く関係がない可能性だって、全くないわけではない。そう思うしかなかった。

「知事選も近いし、反対する奴とかおかしい奴が増えるんだよ、気にすんなよな」
「…………、ああ」

しかし、そのあとから蛭魔は黙ったままだった。俺もどうしてか喋りたくはならなかった。


「あの顔、もしかして…………、……」







蛭魔は、あの男の落として行ったサングラスを握って、そう呟いていた。








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