act1 : 始




 中等教育のとき、同じクラスには黄色人種から黒色人種から白色人種までさまざまな人種がいた。いや、 すでに今のこの世界では、人種の差で、あるいは使用する言語で人を分けること自体稀なことだった。 歴史の授業が楽になった、と俺の親父やお袋はよく口を漏らした。昔は人間の誕生の頃から現在までの出来事を、 自分の国の歴史と他国の歴史についてとを使いわけて授業を受けたものだということを、俺は歴史の試験を持って帰ってくるたびに 聞かされてうんざりしたことをよく覚えている。「それは親父たちの世のことだろ」と反抗してしかられた。 「世の中を、地球を変えてしまったのは親父たちの歳の人間たちだろ」といって、親父とお袋を困らすのが好きだった。 よく考えれば、自分はなんて可愛げのない子どもだったのだろう。
 俺が生まれた頃には、すでに世界に200を超える国々は存在しなかった。というより、世界に国という境界があることさえ 俺や、俺たち周りの子どもは知らなかった。親父やお袋が大人になったぐらいに大きな戦いがあったとかで、 世界の制度やボーダーはすべてなくなったと歴史の授業で習った。しかしそれが、国や人種の差別や身分がなくなったという 平和なことなんかではなくて、地球の大陸すべてがひとつの大きな団体になった――といういわば一人の、あるいは何人かの権力者 の独占政治になったということだった。でも親父が言うには、その歴史の先生が言い、教えることさえも正しいことも わかったものではない、と言う。そしてそういうことを言うとき、親父は決まってこう言った。「外でこういうことを言ってはならない」と。 面倒に巻き込まれるのも嫌だったし、外ではそんな重苦しい話をしたって楽しくなかったから俺は言いつけを無意識に守っていた。
 俺は自分が何語を喋っているのか知らなかった。昔は肌の色や住んでいる地域で言語が違ったらしいが俺は知らない。 でも今は会う人会う人、肌が違おうと住んでいた地域が違おうと言葉が通じた。多少の言葉に“くせ”や“訛り”があるに、しても。 誰が、いつ、地球上に同じ言葉を与えたのか、なんて、俺には知る由もなかった。

「で、なんだったっけ?」
俺がこの世に生を受けて18年がたった。高等教育は卒業した。同い年なのにまだその教育を受けている奴もいるし、 同い年なのに会社を立ち上げ一流企業に仕立て上げた奴だっている。俺はそこそこ優秀な、それでいて別に 飛びぬけて頭のいい奴ではなかった。親父がある地域の議員をしているから、その七光りがあってのことでもあるだろう。 (親父が議員をしていると言うのは、昔の何とかいう国の州議会の議員、という制度を真似たものだといっていたが忘れた) 親父の後をついで議員になるのもよし、ぶらぶらと臨時雇いの仕事をするのもいい、と色々選択があったが俺は面倒なので 一年ぐらいは親父のすねかじっていようかな、と思っていた。大学に進むのも一つの選択だった(そのために一人暮らし用の マンションも一室与えられた。いい部屋だった)。

「葉柱、お前人の話ぐらい聞けよな。バイク、バイクの部品の話だよ」
「わりぃわりぃ。じゃ、いい部品分けてやるよ、いつがいい?」
「来月の初めぐらいに持ってこれるか?」
「いいぜ、それまでせいぜいバイクぶち壊さずいろよ」
「わかったよ、お前もな。バイクぶっ放して死んだらバイクの部品拾いに行くぜ」
「カッ! 部品かよ」

葉柱というのは俺の苗字。下の名前はルイ。美容院かバーかそこらへんに落ちてそうな女の名前みたいだけど お袋が気に入っているのでまあいい。
 俺は友人(もといバイク仲間)に手を振って別れた。夕暮れ間近の街角は人が少ない。田舎のほうならもっと にぎやかなんだぞ、というのはよく聞く話で、田舎は夕方には夕市が通りに立ち、晩の食材を買う人であふれると言う。 しかし昔(この場合は世界荒廃前のこと)の人の考えでは普通逆らしく、都市のほうがにぎやかだったらしいのだが 現在の世の中では、都市では夕方はほとんど人がいない。犯罪が多いからだと言う。 それに最近では、誘拐が頻繁に起こっていて昨日も三人ほど人が行方不明になった。警察は動くのだが 三日もすると捜査は打ち切りになってしまう。俺のバイク仲間も一人いなくなっている。 やたらと多い犯罪に、人々はあまり夕方は外をうろつかない。物を盗んだりする犯罪はよくあるのだが、 こうも誘拐が続くのはめずらしかった。この前俺は身を守るために護衛用のナイフを買った。 仲間たちには小心者、と笑われたが、そいつらのかばんの中にもナイフやカッターが増えていることを俺は知っている。 まあ、俺みたいな奴を誘拐してもいいことはないだろう、と笑い飛ばしておいた。俺不細工だし。 (そう思って、少し泣いたのも事実だけど)

「……今日の晩飯何にしよ」

右に曲がればマンションだ。左に曲がればコンビニエンスストア。まっすぐ行けば飲食店だ。 家に帰れば冷蔵庫のもので適当に飯を作らなくてはならない、でもすぐに家に帰れる。 左に曲がればコンビニで出来合いのものを買って家に帰って楽できる。 飲食店はいいがいま財布には余りお金が入っていない。食べるとしたら家に帰りお金を手にして 再び外に出なくてはならない。どれも面倒だ、そう思い、俺は左に曲がることにした。コンビニだ、 それが一番面倒じゃない。俺は左に曲がることにした。
 夕方の陽が俺の影を長く長く引き伸ばした。ずるずる引きずるように影が重苦しくついてくる。ぼんやりと 俺は明日のスケジュールを思い出していた。スケジュールと言ったってそんな大したことではない。 生活費は親父から仕送りが来るのでバイトはやっていない。友人とバイクを走らせて話をして、それだけ。 でも一応週一ぐらいはお袋に顔を見せることになっていた。明日はその日だった。反抗したりしていたけれど そんなに両親のことは嫌いではなかったので嫌な気分にはならない。ただ、大学進学のことをいわれるのが 面倒だった。行ってもいい、別に。することもないし、いざとなれば兄貴と同じ学校に行ったってかまわないのだ。 やれやれ、と思いながら前を見ないで歩いていると、どん、と前から走ってきた人にぶつかった。 危ねえなあ、と思うだけで振り返ることなく再び歩き出そうとしたけど、珍しい言葉が返ってきた。

「Sorry.(すみません)」

俺は思わず振り返った。そして偶然、相手も振り返ったので目が合った。俺はとっさに言葉が出てこなく、 無意識で相手の腕を取った。相手は驚いて俺のつかんだ手を見ると、何のつもりだ、という、先ほどの言葉とは違う、いつも俺が使う 言語で返してきた。普段聞かない言葉で謝られたのは気のせいだったのか? いや、気のせいなはずはない、 あれは、昔使われていた『英語』だった。間違いなく。高等教育で一時期言語史をとっていたので聞いたことはあった。 少しぐらいなら自分も喋れるだろう、もちろん正しく使える自信なんてないのだが。 相手はじろじろと俺をねめつけるので、俺はたじろいで腕を放そうとした。少し失礼だった、そのことに気がついた。  しかし。

「……血?」

放そうとした相手の手が血だらけだったことにも気がつき放すのをやめた。怪我か? と訊ねると相手は俺の手を振り払おうとする。 放せ、と怒ったような、焦ったような声色で言ってくるので放すわけにはいかなかった。 俺は腕を掴む手に力を込めた。そのときだった。

「いたぞ、あそこだ!」

聞きなれない男の声が聞こえて俺は声のするほうに顔を向ける。すると、その声とほぼ同時に俺が握っていた相手がどきりと身を振るわせたので すぐに意識が相手に戻った。相手は俺の手を振り払おうと必死で抵抗したが手の大きい自分と、細い華奢な相手では勝敗が見えていた。 放せ、ともう一度俺に言った。放してあげたほうがいいのか、という疑問が生まれたが、「あそこだ」と叫んだ男の言葉はこの相手に向けたものではなった。 向かいの道を、両手いっぱいに品物を抱えた女が走っているのがみえた。叫んだ男はコンビニの制服を着ていた。 盗みをした女を捜して追っていたのだろう。叫んだ男が俺たちの横を通り過ぎて言ったのを見送ると、相手は息を荒げて安堵と取れるため息をついた。 手には血、誰かを捜すような叫びに震える――なにか訳ありなのだろうか。 相手はチ、と舌打ちをして去ろうとする。しかし、俺は放すわけにはいかなくて相手の身体をこちらに向ける。「誰かに追われてんのか」と訊ねると、 相手は「テメェには関係ない」と俺をにらみつけた。

「お前がなんかの事件に巻き込まれて死んだりとかしたら一時的に関わっちまった俺、事情聴取とかされるんじゃねェの?さっきのコンビニの店員が証言とかしたりしたら。面倒は俺嫌なんだよ」
「……ならもし俺が事件に巻き込まれているとして、そんな俺をかくまうほうがより面倒だぜ?」
「それでも、このあとすぐ死んじゃったりとか捕まったりするよりましなんじゃないのか?」
「……」
「お前が事件の犯人じゃない限りは、俺かくまってもいいけど」
「…………」
「かくまったほうが助かるなら、の話だけど」

なんで俺がこんなにこいつをかくまいたがるのか相手にはわかっていないようだった。でも俺自身もなんでか、なんてしらない。 そんなものだよ、な? 人が人を助けたくなる理由なんて。例えば死にたい、といい続ける相手の自殺を手伝ってしまうような事件がある。 俺はそれが決していいことだなんて脅されて殺されかけたって言うことはないけど、犯人の証言はどうしてか助けてしまった、というのが大抵。 それが後悔する結末だろうとなかろうと、助けること、そこに明白な理由があることというのは少ない。見返りを見込んでの手助けは、それは手助けとはいえないと思う。 少なくとも、俺は。

「俺の家は親父が議員やってて――」
「……ッ」

 反応があった。でもどうして?
 しかしようやく反応が、それも拒むような反応ではない反応が出たのでよかった。俺は言葉を続けた。

「いいマンションに住んでるから、セキュリティーもいいし、隠れるにはいいと思うけど。」

相手から逃げ出すような気配が消えたので俺は腕の力を緩めた。相手は瞳をくる、と動かして俺を見つめた。 ビーダマみたいだった瞳に、少しだけぬくもりが戻った気がした。 相手はその瞳をわずかに細め、言った。

「……馬鹿だな、テメェ」

お人好し、という意味にとっておいた。相手に悪気はないようだった、その言葉には。 相手は前髪を邪魔そうにかきあげて、力の緩んだ俺の手を放させた。俺が手を放しても、相手は逃げ出そうとはしなかった。 俺は家の方向を指差した。

「俺の家、すぐそこだから、すぐ家に帰れる」

俺は相手があまりにも、この季節にしては薄い格好をしていたので上着を脱いで相手にかける。 フードがついていたからフードもかぶせた。もう遅いかとも思ったが、狙われているのならせめて顔が隠せるようにと思った。 コンビニの飯はあきらめて、家にあるもので何か作ろう、と相手を連れて家路をたどった。 すると、相手は俺の横で小さく呟いた。最初のほうは何を言っているのかは聞き取れなかったが、 最後の一言だけは、確かに俺の耳で聞き取ることができた。先ほどの張り詰めたような声ではなく、 少し落ち着いた、聞いているこっちも落ち着けるよな声だった。

「俺は、蛭魔」

ひ る ま。
それがお前の名前?
それが信用した証なのだろうとおもい、俺は少し嬉しくなった。こういうタイプの人間は、 決して自分から名乗るということはないと思っていたからだ。 俺は 蛭魔、と名前を呼んで、自分も口を開いた。

「俺は、葉柱。……よろしくな、蛭魔」







ただ、蛭魔から「よろしく」という言葉が返ってこなかったことだけが、
嫌に俺の胸辺りに引っかかってとれなかった。








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--------------------------------------------------- 出会い。